読んで読んで読みまくる

19年前の当時も中島さんの言葉を引用してましたが、それがこれ。

 

『辛い現実のなかで思い通りにならぬ、ファンタジーのように美しくもない数々の試練と出会い、しかもそこには勇者も神もいない不条理とぶつかってめげながら、しかしファンタジーによっていやされてまた現実の不条理とぶつかってゆけるのだったら、そのひとにとってこそファンタジーが意味をもつ。』by 中島梓

 

まあ、あの頃もとある人物にいつもダメージくらわされていて、そして現在も精神的にダメージを絶賛くらわされている最中ですが、今はその辛い辛い現実を忘れる為に、物語を時間を惜しんで読み続けることでストレス発散してるわけです。人はきっと私の状況はまだ他人よりマシだと言うでしょうね。私だって客観的に見れば、もっともっと辛い毎日を過ごしている人はいるよなあとはわかってはいるのです。ただ、私は人格者ではなく、ワガママな大人になりきれない人間なんですよ。「そんなことくらいで」とは言われたくないから詳しい状況は言いませんけど。

 

私は何とか現実から目をそらしたいが為に、読みたいと思う物語を時間が許す限り読み続けるだけです、犯罪者にならない為にも。19年前より今のほうが状況的に犯罪者になる可能性はあると思うので、全力で私は物語にのめり込むようにしています。できればそのまま私は……物語の中に転生したいですね。究極な願いです。もっとも、物語の世界に転生したとしても、その転生先も結局は現実世界となるわけです。今私の置かれている状況と同じ状況が待ってないとは誰にも言えませんよね。だから、やっぱ、現実を忘れるくらいに物語を読むのに夢中になりたい。ずっと読み続けていたい。たとえ自分が死んでしまっても、死んでいることに気付かないくらいに読み続けたい。それくらい私は飢えています。それは同じように物語に夢中になっていた子供時代より、今のほうが一番物語に飢えているのです。そして私はまた積んである文庫本に手を伸ばす。この短期間にずいぶんと大量の物語を読みました。二日に一冊はこなしてますね。自分でも呆れるくらいに読み続けてる気がする。いつまで読めるだろうかと戦々恐々しながら。

 

話はガラリと変わりますけど。(笑)

 

最近の物語は視点がブレブレの人がけっこういて、それでもそれが気にならない人、視点が飛び過ぎてて読みにくい人とかいて、私が若い頃はその視点のブレに関してかなり厳しかったと思うんだけど、考えてみたら、今の編集者の方々も若い人ばかりですよね、視点のこととかあまり厳しく言う人もいないのかもしれないな、その内容がおもしろければいいってなもんで。まあ、私も読んでてそんなに気にならない視点のブレならいいんですけど、今回とある物語読んでて、あまりにも視点があっちこっちに飛ぶもんだから、せっかくおもしろい内容なのに残念だなあと思いつつ、これはもう読まないなとなりました。

 

さて、また次読みますかね。

 

追記です。(ますます誰かさんみたいになってきたなw)

 

辛さは人と比べるものではないっていうのはもちろん私もそう思っています。けれど、比べる人はどうしても出てくる。つまり、私がこれこれこういうことで世界で一番不幸なんだと言ったとしたら、必ず「そんなのたいしたことじゃない。もっとあなたより悲惨な状況の人はいる」とか言ってくる人がいるわけですよ。過去に同じようなこと言われたこともありますしね。けれど、私にとってはその人から見たらたいしたことじゃないことでも死にたいくらいにつらいことなんです。だから、比べることじゃないって言ってもらえるのはとても嬉しい。生意気だなんて思いません。素直に嬉しいと思っています。

 

ただ、辛さを比べる人もいて悪いわけじゃないんですよね。誰かの不幸を見て、ああ、私の辛さなんてまだマシだ、頑張ろう、死ぬのはいつでもできる、だから、もう少しだけ頑張ってみようって生きるために比べるというのもあるわけで。そういった比べ方をする人もいますからねえ。まあ、比べて他人を叩く人っていうのは、だいたいが自分じゃなく、誰かと誰かの辛さを比べてるっていうのがほとんどだから、そういう比べ方をしないような人間にはなりたいですよね。