今朝はまなめっちがいいこと言ってた。(笑)

『好きになることに、許すって感覚もあると思うのです。「イケメン/美人だから許しちゃう」って言うじゃないですか。恋は盲目じゃないですけれど、「先に好きになっちゃった私の負けね」みたいな感じで何でも許しちゃうやつ。あーゆー感覚を持たれたら最高に幸せだと思うのですよ。要するに、「もうしょうがないなぁ、仁は」というのは至高の名言であり、かつ究極の名言だということなのですが。好きを例に出しましたが、これって信頼にも当てはまりますよね。大きなところで信じてもらえると、それより小さいと相手が判断してくれるところでは許容してもらえる。そんな大きな信頼を得たいものですね。・・・と、仕事でネチネチお客さんに確認されながら思ったりしました。』

リンクしようにもURLわかりにくい上に消えてしまうこともあるんでこのまま転載させてもらうけれど。まなめっちが言ってたことだということだけは付記しておく。

私も許さなくちゃだめだなあと思った。トラブルメーカーな私はいつも誰かにこんな私でも好きになってよと言い続けたものだけど、考えてみたら私も他人を許すってことができない人だったよなあって。そんな私だから、好きな人が許してくれるなんてことはないわけだ。

ただ、私の場合は私が好きにならなくても私のすべてを許してくれる人もいる。いやまあ好きにならなくてもというのは御幣が。好きは好きなんだよね。その人たちのことを。で、好きでいてくれることに感謝もしている。けれど、その人たち以外にも私は好きな人がいて、それはぶっちゃけ片思いではあるんだけど、そういった片思いの人たちはなかなか私のことを好きになってくれないし、また私のやってきた行為を許してはくれない。というか、確認したわけじゃないけれど。ただ、許してくれそうにないと私が思ってるだけなんだけど。でもなかなか聞くことはできないよね。さすがにそこまで確認する勇気はない。確認してみてやっぱり「許さない」と言われたら…考えただけで立ち直れそうにないもの。