贖罪

ついったーで椎堂さんがこんな発言をしていた。(椎堂さんのついったーはプロテクトなのでリンクは一応してあるが読めない人もいる。発言自体は彼女から引用許諾してもらえたのでこうやってブログでは紹介させてもらえている)

『日計50のサイトの作品より、日計500のほうが沢山リアクションあるかというと、そうでもないですよね。「感想率」みたいなのは、PVが増えれば増えるほど減る傾向があるような気がする。私が多くの人に読まれることにあんまり情熱持てないのもそのへんなんですが……』

『大昔に、更新時で500くらいカウンタ回った時期もあったけど、その時と今と、感想もらえる数は大差ないですもん。宣伝しても、増えるのは読み逃げの人で、「読まれた」ということだけで満足いく場合はいいんだけど、私は感想が欲しい人なので、カウンタだけ回っても何か微妙です。逆に鬱になる。』

『たぶん、自分の場合、誰かかまってくれる人がいれば、読者数はどうでもいいんだと思うんですが、縁のある読者さんに出会うためには、沢山の人に読んでもらわないと、ってことで、数の理論になってくるんではないかと。もしも感想率100%だったら、読み手さんなんて10人もいれば充分すぎるかも。』

『何を求めて作品公開してるかによるのかも。人によるんですよね、たぶん。』

この発言に対して私はこう@した。

「それ私もそうだなあ。私も昔は一人二人が必ず何か一言感想くれて、それだけでかなり満足してましたから。たくさんの人に読まれたいじゃなく、一人でもいいから反応してくれてかまってくれる人がいればいいみたいです、私は。」

で、この私の発言対して椎堂さんはこう答えてくれた。

『ただ読んでくれるだけでも有り難いとは思うんですけど、基本的には、感想くれる人のために書いてます、私。目に見える読者しか意識できないというか。特定の人をターゲットに書いたほうが、書いて楽しいし、いい仕事できてる気がするので。』

この一連の会話で、私も反応あるとモチベーションがあがるってことにいまさらながら気づいた。それは日記とかもそうなんだけど、小説なんかはとくにそうなんだなあって。もちろん、第一に自分自身の満足のために書いているわけだけど、やっぱ読んでくれた誰かが感想くれると、おっし、書くぞーとなるもんなんだよなあって。

多くの人に読まれたいんじゃなく、誰か一人でも読んでくれてマメに感想をくれるのが一番気持ちのいい創作活動(あるいは日記書きについても)なんだなあって。私に限り、だけど。で、昔はそういう書くと必ず感想をくれる人が一人か二人いて、それだけで私は満足するわ、また書きたくなってすぐ書いちゃったりするわ、という感じだったんだよな。ただ、私はそういう貴重な人を私の裏切りで離れさせてしまった。それがどんなに愚かなことだったか、私は気づかなかったんだ、今の今まで。

今頃気づいてももう遅いんだけどね。誰にも読まれず(読まれてはいるかもしれないけどまったく反応なしの読者のことは基本的に存在しないと私は思っている)誰にも感想もらえず、それが私に対する罰なんだと肝に銘じて書いていくしかない。